KAWACHIの歴史
心斎橋モダニズムの歴史とともに歩んだ河内洋画材料店がブランドとして復活。

大正末期、大阪市は東京の人口を上回っていました。”大大阪”と称された日本最大、世界有数のマンモス都市は日本の近代化の象徴であり、その中心地が心斎橋だったのです。

河内洋画材料店は、その名の通り洋画材料を扱う専門店として1920(大正9)年、心斎橋に創業しました。当時は絵画や書の額装とともに、後に日本を代表する産業に発展する写真機(カメラ)の暗箱製造も事業の柱のひとつであり、河内の木工製品の精巧さには定評がありました。

日本でも有数の名工、職人を抱えた河内ブランドの額縁、画材箱、筆などのオリジナル商品は、多くの作家や文化人に愛用され、そのネームは有名作家の作品の制作年や贋作を見分けるサインにもなっています。海外の絵の具や木炭紙、水彩紙などを当時から扱っており、小出楢重や佐伯祐三、赤松麟作、普門暁といった大阪を代表する作家との親交はもちろん、* 戦時中に藤田嗣治の作品を預かったことでも知られています。

当時の心斎橋はまさに日本の近代デザイン、モダニズムをリードしており、昭和初期に村野藤吾が設計したそごうの北隣、心斎橋筋1丁目に店舗を移転した河内洋画材料店は、2016年までカワチと店名を変更して営業を続けました。その間、画家の方たちだけではなく、小説家、俳優、デザイナー、建築家など幅広いクリエイターの方々にご愛顧いただきました。

現在、カワチは本店を心斎橋の東急ハンズに移転、大阪に4店舗と神戸1店舗の計5店舗で画材店として営業を継続しております。その創業当初の屋号を継承し、新たなブランドとして「河内洋画材料店」がオンラインデビューしました。

脚注1:画商が少なかった戦前、河内洋画材料店の創業者・河内俊は、戦時中渡欧していた藤田嗣治から20点近い絵画作品を預かっており、心斎橋の店舗に置いていました。しかし大阪大空襲の際に店舗もろとも焼失し、落胆していた。戦後、帰国した藤田に詫びに参じたところ「あなたのせいじゃない、戦争のせいだから仕方ない。気にしないでください」と言われて、安堵したというエピソードが残されています。

KAWACHIの歴史

当時の「GALLARY KAWACHI」 店内にはギャラリーを併設。中庭があり、自然光で絵画や絵具の色を見ることが出来ました。

KAWACHIの歴史

外国製の高級絵具の種類も豊富に取り揃えていました。


KAWACHIの歴史

当時から続く額装加工は今でもKAWACHIの得意部門です。